HISTORY 10 【最終回】日本の文化芸術振興と共に
2017年3月3日
皆さま、本日も当ブログをご覧くださいましてありがとうございます。
本日3月3日は当社の創立記念の日となります!
本年もまたこの日を無事に迎えられましたのも皆さまのお力あってのこと。
私共は創立より日本の文化芸術発展の一端を担わせていただいておりますが
なお一層、励んでまいりたいと存じます。
第1話 は コチラ
第2話 は コチラ
第3話 は コチラ
第4話 は コチラ
第5話 は コチラ
第6話 は コチラ
第7話 は コチラ
第8話 は コチラ
第9話 は コチラ
さて、皆さまに当社のことを知っていただき、親しみを持っていただければ
と掲載してまいりました社史ですが、今回で最終回となります。
全10回のご愛読ありがとうございました。
今回も最後までごゆっくりお楽しみください。
『昭和30年に高校演劇指導者講習会が開かれることになった。
これを発端としてその後全国各地の高等学校では“文化活動としての演劇”
が盛んになっていった。
大会やコンクールが各地方で開催されるようになると講堂や体育館にも
舞台照明を設備するという学校が年々増えてきた。
また、ホテルや旅館も宿泊だけでなく宴会場などの多様な機能を
兼ねはじめ、演出照明設備が必要となってきた。
昭和40年代は万国博覧会の開催に伴うパビリオンの建設や、
公共事業が盛んとなり全国各地で劇場などの文化施設
の建設がなされるようになった。
テレビ放送は開始されて以降目覚ましい進化を続け演出照明の需要はますます
高まっていた。
こうしたさまざまな要素が折り重なり調光装置を始め、舞台照明設備の技術
は更なる進化を遂げていった。
昭和50年代後半に入り文化活動がますます勢いを増してくると
全国あらゆる都市で文化施設の建設をに拍車がかかっていった。
当社は会館の規模の大小を問わず、その施設、目的にあわせ
最新技術を投入した記憶付の照明操作卓から手動の照明操作卓まで納入していった。
その流れの中、東京大田区の機器開発及び電子関係の業務を担っていた
“東京工場”の敷地を京浜急行電鉄に用地提供するのを機に新たに昭和61年(1986年)
実験スタジオや照明器具からソフトウエアの開発に至るまでの設備を
兼ね備えた“技術センター”を新築することとなった。
また第二次世界大戦の東京大空襲でも奇跡的に焼けることなく残っていた
本社社屋は老朽化がすすみ創立70周年を機に平成2年(1990年)新社屋に
建替えとなり現在に至っている。
白熱電球の発明からわずか139年あまり。
現在、照明器具の光源としてはLEDの採用が目立つようになり、
調光もデジタル信号を使用したシステムを採用するようになっている。
ハード(舞台周辺機器)の進化がソフト(上演作品)の多様化を産み
またソフトの多様化がハードの進化を促して日本の文化芸術は発展を
遂げてきた。
当社は今後も文化芸術を愛し感動する心を大切にしながら次世代の
舞台、テレビジョン照明設備の発達を促しながら社会貢献をしてゆきたいと
考えている。』