舞台裏

HISTORY7

2016年3月15日

皆さん、こんにちは!

いつも当ブログをお読みくださいましてありがとうございます。

驚くべきことに、こちらのブログ今年の初更新です。。。

早いもので、社史の連載も開始から1年ほどが経ちました。

本日は終戦直後の弊社を皆さんと一緒にたどってみたいと思います。

1話 は コチラ

2話 は コチラ

3話 は コチラ

4話 は コチラ

5話 は コチラ

6話 は コチラ

この記事は第7話です。

昭和19年~20年にかけて激化した戦況、そしてほどなく迎えることとなった終戦の日。

多くの都市は度重なる空襲により廃墟となったがその中から

人々は再び未来を見据えて立ち上がろうとしていた。

当社のことを話せば、山梨県の(現在の竜王町)に小屋を借入れ、

かろうじて焼失を免れた工作機械を持ち込んでの工場再開となった。

一切の設計資料が焼失し手元に何も残らない中、業務の完全再開に備え

それぞれの技術者が自らの記憶をたどるほか、焼け残った劇場を訪ねては

劇場の照明設備のスケッチをかさねていった。

それは、日本の芸術、文化の復興・復旧を一心に目指す当時の社員の

心意気の表れだったのではなかろうか。

当社にとって舞台照明の仕事のスタートは昭和22年に開始した新橋演舞場の

復興工事である。

戦後、物資欠乏の頃ではあるが本格的な仕事であり、

焼け残ったもの、工夫すれば使用できるもの等を探しては甲府駅までは貨車、

駅から小屋まではリヤカーで運び込み、

工具も十分とは言えない中製作を進めていったのだった。

現場(劇場現地)での工事の段となったが、

まだまだ広がる焼野原の東京では宿泊場所や食料調達にも事欠いていたので

布団を新橋演舞場に持ち込んで泊まり込みで仕事を行ってゆくこととなった。

そんな必死の作業の合間にもしばしば起こる停電や駐留軍や警察官による職務質問など

今からでは想像できない過酷な条件の中、多くの苦労を重ねつつも、

社員一同、一丸となりこの業務にすべてを注ぎ込み

昭和23年3月新橋演舞場は無事に再開場の日を迎えることとなった。

設備内容は、回路数138回路となっており、調光変圧器は把手型30Aのもの132本。

この折納入した操作把手盤は昭和56年の取り壊しまで使用された。

当時の照明担当者の方は撤去に際し「それはもったいない博物館に保存しなければ」

との海外の大学教授の声を聞き「うれしかったね。とにかく、再建当時は最新の設備だった。

国産だけど大事に使ってきた。」と語っていたという。

 

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