舞台裏

創業記念日

2015年3月3日

みなさん、こんにちは!

営業部の大竹です。

本日、33日は弊社の創立記念日となります。

今から96年前、一人の若者の志によってこの世に産声を上げた弊社が

一日、一週、ひと月、一年と日々を重ね、また本日創立記念の日を迎えることができました。

 

この96年の積み重ねの一部、特に草創期においては日本の劇場文化、そして日本の舞台照明史と大きく関わるところでもありますので、

いつもこのブログを楽しみに()お読みくださる皆様と共にしばしの間

振り返り、時間旅行に出発したいと思います!

 

【   1.創業 】

丸茂電機()創業者、丸茂富治郎は明治24年甲府市柳町に生を受ける。

それはちょうど明治時代中期にあたるが、明治以前の江戸時代において、甲府は

“小江戸”と異称され、江戸の庶民文化が早く入る土地であった。

道祖神祭りは現在では想像できないほどの大きな祭りであり、辻々に屋台を飾り

商家は広重などの一流の浮世絵師に頼んで描いてもらった豪華な幕の絵を軒先一面に張り巡らせるだけでなく寺院を借りては狂言の催しなどがなされるなど江戸の粋をそのまま映したかのようであった。

その名残、面影が多く残る甲府で少年時代を過ごした丸茂富治郎にとって、生涯歌舞伎を愛したことも、それにかかわる舞台照明の道に足を踏み入れたのもごく自然な流れであったのかもしれない。

 

時が流れ、大正7(1918)11月に第一次世界大戦が休戦状態となると、日本においても大戦景気の反動が起き企業倒産が相次いだ。

大戦で貿易が途絶えたため暴騰していた諸材料の暴落などが様々な企業に痛手を与えたのだ。

かねてより、独立起業の志を有していた富治郎は、新進気鋭の技術者として勤務していた

東西製作所が企業整備に入らんとするのを機としその実現に取り掛かった。

学生時代の先輩が所有していた白金台の事務所を譲り受け、休業している工場より機械類を購入し1か月がかりで取り付けることで操業可能とした。

こうして丸茂電株式会社の前身丸茂電機製作所は大正8(1919)33日に世に生まれ出ることとなった。

富治郎の会社創業への熱意に共鳴したわずか10数名の諸氏との出発であった。

 

続く

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