舞台裏

名古屋営業所便り

2018年1月9日

2018年もあけまして早1週間を過ぎました。

本年も丸茂電機はみなさまの作品というキャンバスを
明るく照らす企業として
お力になれますよう努力邁進してまいります。

本年もご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、本日は中日ビルの建て替えに際し昨夏移転いたしました
弊社名古屋営業所より、お知らせです。

こちらのブログでも様々な記事を通じ皆さまと共に
一年を過ごして参りたいと思います。

どうぞよろしくお願い申し上げます!

『 皆さまこんにちは。名古屋営業所の小松です!

お久しぶりです。今回は名古屋営業所から報告が有ります!
もうご存知の方もいると思いますが、前回紹介した中日ビルから、
錦通り沿いの「名古屋栄ビルディングの11階」へ昨年夏に移転しました。

引っ越した先は、中日ビルから目と鼻の先の距離です。
名古屋地図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新事務所の最寄り駅は、以前と変わらず市営地下鉄の「栄」駅です。
地下鉄から事務所までのルートについて紹介します。

 

1.栄駅の東改札を出ます。この栄駅は、名古屋の中心だけあっていつも混雑しています。
名古屋写真1

 

 

 

 

 

 

 

2.東改札の側の5番出口から地上へ出ます。ここからが一番近いです。
名古屋写真2

 

 

 

 

 

 

 

3.地上に出て見渡すと観光名所のテレビ塔があります。
夜のテレビ塔は、イルミネーションが綺麗で、写真を撮っている方を良く見かけます。

【昼】
名古屋写真3

 

 

 

 

 

 

 

【夜】
名古屋写真4

 

 

 

 

 

 

 

4.テレビ塔を横目に東へ進みます。もうすぐ着きます。
名古屋写真5

 

 

 

 

 

 

 

5.名古屋栄ビルディングの正面玄関です。
ビルの1階は東京スター銀行がありますので、すぐわかると思います。
名古屋写真6

 

 

 

 

 

 

 

6.ちなみに新事務所はこんな感じです。
名古屋栄ビルディング11階の事務所は、広くなり、見晴らしも良いです。
名古屋写真7

 

 

 

 

 

 

 

余談になりますが、新事務所に移転して、ちょっとした問題が有ります。
それは、雨の日の昼食です。
中日ビルの頃は、地下2階へ降りれば、飲食店街が多数ありましたので
天候を気にすることなく昼食が取れました。
中日ビルがいかに便利だったかという事を痛感する毎日です。
しかし中日ビルより駅の改札は近くなり、
その側にはオアシス21というショッピングモールがあり、
今まで通わなかった飲食店がいっぱいです。
新しい道、飲食店、景色などたくさんの刺激を受け、
私たち社員は、日々この新事務所で頑張っています。
お近くにお越しの際は、ぜひご気軽にお立ち寄りください!
名古屋営業所一同心よりお待ちしております! 』

舞台照明関連書籍ご紹介 『現代照明の足跡~歴史を創った7人の巨匠たち~』

2017年12月8日

皆さま、こんにちは。

営業課の大竹です!

丸茂電機に勤務し早○○年。趣味は観劇と本を読むことです。

こちらのブログを読んでくださっている皆さまは
舞台照明に関心がある方々なのではないかと思ってはおりますが、
読書に関心はおありでしょうか?

私はつい先日まで社史のコーナーを書いていた関係で日本舞台照明史に
とても興味をもちました。

色々調べてみて歴史そのものも大変面白かったのですが、
その歴史はその時代に生きた人たちの手によって築いてきたものだとはっきりと
認識することとなりました。

今度はその方々の人生や思いについて知ってみたい。。。
そう思っていた矢先まさにその日本舞台照明史を築き先駆して
いらっしゃった方々の本を手に取ることが出来たのです。

『現代照明の足跡~歴史を創った7人の巨匠たち~』(日本照明家協会様刊行)

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もう、お手にとって読まれた方もいらっしゃるかもしれませんね。
現在の日本には数多くの劇場があり、素晴らしい舞台作品が日々上演されています。

日本の舞台照明は1900年頃から「電気」が導入されたことによって
大きな変化が始まったのですが、とりわけ第二次世界大戦前後は日本の舞台照明は
現代照明に向け、めざましい発展を遂げた時代でした。

この本を読んでいると発達・発展の度合いが大きい分、幾多の困難や壁があったのだろうということが良くわかります。
この本では時代の波、変化の渦の中、舞台照明を開拓し、道を切り開いてこられた
遠山静雄氏、小川昇氏、松崎國雄氏、篠木佐夫氏、穴澤喜美男氏、大庭三郎氏、
相馬清恒氏という7人の照明家の方々に“スポットライト”を当て、
お仕事の足跡や日本舞台照明のあり方の変遷、そして今も色あせることない照明哲学などが丁寧につづられています。
当時の仕込図やキューシートなど貴重な資料の掲載もありとても読み応えのある一冊です。

舞台照明のことは詳しく知らない方でも、7人の照明家の方の仕事に対する美学など
普遍的な内容を多く含んでいますので、一人の人生を追いかけるような読み方もできて
とても面白かったです。

 

ご購入は日本照明家協会様HPで可能です。

 

ご興味のある方にはぜひご一読を!

 

大竹妙佳

こちら大阪営業所 Vol.2

2017年11月16日

皆さまこんにちは!

前回は当社大阪営業所のご紹介をVol.1として掲載いたしました。
大変お待たせいたしましたが本日は第二弾をお届けいたします。

最後までごゆっくりと
お楽しみくださいませ。

皆さまこんにちは、再び大阪営業所の今井です!!
また皆様にお目にかかれて嬉しいです!

早速前回のご紹介の続きを書かせていただきます。

3 大阪のオフィス街【京阪淀屋橋駅】
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市役所や会社事務所がたくさんあり
日中は多くの人でごった返しています。

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駅から北に進み淀屋橋を渡るとすぐ右手に大阪市役所が見えてきます。

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そこからさらに北へ進むと大江橋があります。
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「水の都」と呼ばれるだけあって川・橋が多いですね。
太古、大阪は海の下にあったせいでしょうか。
梅田も沼地を埋めて出来た土地であることから
「うめた→うめだ→梅田」との説があるほどです。
話が少し脱線しましたが、北に進むと右手に駐大阪・神戸米国総領事館が見えてきます。
四六時中機動隊の大型車が止まっており、緊張した雰囲気が伝わってきます。
さらに北へ進むと大きな鉄橋が現れ、

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そこを右手に曲がり200m程歩けば大阪営業所に到着します。
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前には国道1号線が通っており、東京 日本橋から大阪北区に至る終点があり道路元標があります。
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また、この地点から北九州 門司までが国道2号線となるそうです。

大阪営業所員はこのオフィスで日々仕事を頑張っております。

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いつも賑やかで楽しい会社です。
私が入社して、初めて配属されたのが大阪営業所です。
業務中も四方八方から言葉のキャッチボールが飛び交い、
地方から出てきた私としては、
入社当初はすべての会話が軽快な漫才のように聞こえて面白いなというのが第一印象で、
鮮明に覚えています。

大阪営業所の担当地域は滋賀県・京都府・大阪府・奈良県・兵庫県・和歌山県の近畿地方
徳島県・香川県の四国エリアです。(愛媛県・高知県は広島営業所が担当しております。)

皆様、是非丸茂電機 大阪営業所へ足を運んで下さい。
大阪営業所一同温かい笑顔を御用意してお待ちしております!

こちら大阪営業所 Vol.1

2017年10月18日

皆さまこんにちは。
いつも当社ブログをお読みくださいましてありがとうございます!

全国各地の劇場、ホール様とお仕事を緊密にさせていただくため
当社では主要都市に営業所を開設し、
日々より良い劇場作りに取り組んでいます。

今日は、西の都大阪より
営業所便りを掲載いたします。

Vol.1 仙台営業所
Vol.2 名古屋営業所(旧所在地)

こちらのバックナンバーも合わせてお楽しみいただけますと嬉しいです。

それでは、最後までごゆっくりお楽しみくださいませ。

 

皆さまこんにちは、大阪営業所の今井です!! 

秋が深まり、ずいぶんと日が落ちるのが早くなりました今日この頃。
気温もだいぶ下がり、少し肌寒い季節となりました。
「食欲の秋」到来中です!
新米・さんま・さつま芋・松茸、まだまだ沢山美味しいものが思い浮かびますが、
厳しい冬を乗り切る為にも、また風邪を引かないように皆さんいっぱい栄養を蓄えておきましょう!

さっそくですが、今日は私が所属する大阪営業所の紹介をさせて頂きます。

オフィスは大阪梅田にあり、①JR大阪駅・②JR北新地駅・③京阪 淀屋橋・
④JR大阪天満宮駅を四方に囲んだちょうど真ん中に位置しています。
各交通網からのアクセスがしやすい!と思われがちですが、
裏を返せば最寄の駅といえるものがありません。
大阪1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一見「訪問しにくそう・・・」と思うかもしれませんが
是非皆様に
これまで以上に大阪営業所にお立ち寄り頂けるよう
各駅からの名所を紹介し、お楽しみいただきたいと思います!

1 大阪中心の交通網【JR大阪駅】
大阪2

 

 

 

 

 

 

 

大阪営業所までの道中には露天神社(通称:お初天神)があります。
境内で実際にあった心中事件を題材とした人形浄瑠璃「曽根崎心中」で描かれており、
ヒロインの名前「お初」にちなんで通称「お初天神」と呼ばれています。
連日恋の成就を願う多くの人々が訪れています。


僕と一緒に参拝して下さる女性の方長らく募集しております!! 
 


大阪3

 

 

 

 

 

 

 

また、裏手にはお初天神通りがあり、アーケードの中には多くの飲食店が軒を連ね、
大阪営業所員も仕事帰りにお世話になっております!!
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2 大阪の夜の顔【JR北新地駅】
北新地は東京の銀座に並ぶ高級飲食店街で、たまに名前は聞くけれど、どうにも敷居が高く物怖じしてしまいます。
社会見学も兼ねていくつかの通りを歩いてみました。
ネオンがとても綺麗ですね。
美しいのはネオンだけではありません、とても綺麗な女性方が非常に多く歩いており、
少し見学しただけでも非常に楽しくわくわくドキドキでした!!
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大阪営業所周辺地域のご案内も少々長くなってまいりましたので。。。
本日はこの辺で。
次回の掲載をお楽しみに!

 

 

 

 

高校演劇 3

2017年9月1日

みなさま、こんにちは!
本日も当ブログをお読みくださいましてありがとうございます!

9月になりました。
今年も年に一度の高校演劇部時代を振り返るシリーズの掲載時期です!

第1回目は コチラ を

第2回目は コチラ をご覧くださいね。

また、この記事をお読みになりまして『あ!!』と思うようなことがございましたら
お気軽に弊社にお問い合わせくださいませ。

全国各地の営業所はコチラ

では本編のスタートです!!
 
 
こんにちは。営業課の神谷です。
日に日に朝夕涼しくなって、徐々に秋の気配を感じるようになりましたね。
先日、全国高等学校演劇大会の優秀校の国立劇場公演を観てきました。

仙台で行われた全国大会の会場へは各種LED製品を展示させていただいた経緯もあり、
準備期間中にお邪魔させていただきましたが、残念ながら本番は観劇できず、
今回、国立劇場での公演はその一部ではありますが、非常に楽しませて頂きました。
全国レベルとなると、プロ顔負けの公演を行う高校ばかりで思わず身を乗り出して見てしまいました。

(ちなみに全国大会の模様はNHK Eテレで9月9日(土)15時から「青春舞台」という番組で放送されるそうです。
ぜひチェックしてみてください。)
 

全国高等学校演劇大会(宮城大会)での展示ブースの様子

全国高等学校演劇大会(宮城大会)での展示ブースの様子

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

私も高校時代は演劇部に所属しており、その頃のことを少し思い出しました。

当時は部員数が少なかったので、役者と照明を兼務しての活動でした。
私はもともと裏方に興味があったので照明の操作ばかりやっていました。

暇があれば、体育館の調光室にあった調光卓を触ったり、公演のたびに照明プランを立て、
少ない照明機材でどうやって効果を出すか頭をひねったりの日々でした。

文化祭のシーズンになると演劇部が照明係として駆り出され、
体育館のステージで行うバンド演奏などの催し物の照明を任せられたりもしていましたよ。

照明操作を担当したある公演で、役者として出演していた部員に終演後、
照明がフェードアウトで暗転するタイミングが舞台に立っていてとても気持ちがよかったと言ってもらえ、
とても嬉しかった思い出があります。

 

もちろん、楽しい思い出ばかりではありません。

例えば、公演直前に本番で使用するT1スポットライトの電球が切れてしまったことがありました。
当時は丸茂電機のことも知りませんでしたし、インターネットもまだ普及していなかったので
どこに相談すればいいかもわからず、とりあえず街の家電量販店に行きました。

地元でもかなり大きな店だったので、すぐに替えの電球が買えると思っていたのですが、
取り寄せになると言われびっくりしました。

よくよく考えてみれば、500Wの電球は一般家庭では使用しない電球なので、
家電量販店に置いていないのは当たり前ですよね。

公演にはなんとか間に合ったものの、あまり日が無かったのでヒヤヒヤしたのを覚えています。

 

これから文化祭を控えている皆様は、

大切なイベントや公演に備えて、

今から予備電球を準備しておくことをお勧めします!

 

私たちの代は、全国大会はおろか県大会へも進めませんでしたが、
全力で部活動に打ち込んだ思い出と
時にはケンカもしながら一緒に公演を作り上げてきた仲間は
今の私にとって大きな財産です。

現在、学生の皆様もどうか周りの友達、そして自分自身を大切にし、
毎日の学校生活を悔いのないよう全力でエンジョイしてくださいね!

 

営業部営業課 神谷

HISTORY 10 【最終回】日本の文化芸術振興と共に

2017年3月3日

皆さま、本日も当ブログをご覧くださいましてありがとうございます。

本日3月3日は当社の創立記念の日となります!

本年もまたこの日を無事に迎えられましたのも皆さまのお力あってのこと。
私共は創立より日本の文化芸術発展の一端を担わせていただいておりますが
なお一層、励んでまいりたいと存じます。

第1話 は コチラ
第2話 は コチラ
第3話 は コチラ
第4話 は コチラ
第5話 は コチラ
第6話 は コチラ
第7話 は コチラ
第8話 は コチラ
第9話 は コチラ

 

さて、皆さまに当社のことを知っていただき、親しみを持っていただければ
と掲載してまいりました社史ですが、今回で最終回となります。
全10回のご愛読ありがとうございました。
今回も最後までごゆっくりお楽しみください。

 

『昭和30年に高校演劇指導者講習会が開かれることになった。
これを発端としてその後全国各地の高等学校では“文化活動としての演劇”
が盛んになっていった。

大会やコンクールが各地方で開催されるようになると講堂や体育館にも
舞台照明を設備するという学校が年々増えてきた。

また、ホテルや旅館も宿泊だけでなく宴会場などの多様な機能を
兼ねはじめ、演出照明設備が必要となってきた。

昭和40年代は万国博覧会の開催に伴うパビリオンの建設や、
公共事業が盛んとなり全国各地で劇場などの文化施設
の建設がなされるようになった。

テレビ放送は開始されて以降目覚ましい進化を続け演出照明の需要はますます
高まっていた。

こうしたさまざまな要素が折り重なり調光装置を始め、舞台照明設備の技術
は更なる進化を遂げていった。
昭和50年代後半に入り文化活動がますます勢いを増してくると
全国あらゆる都市で文化施設の建設をに拍車がかかっていった。

当社は会館の規模の大小を問わず、その施設、目的にあわせ
最新技術を投入した記憶付の照明操作卓から手動の照明操作卓まで納入していった。

その流れの中、東京大田区の機器開発及び電子関係の業務を担っていた
“東京工場”の敷地を京浜急行電鉄に用地提供するのを機に新たに昭和61年(1986年)
実験スタジオや照明器具からソフトウエアの開発に至るまでの設備を
兼ね備えた“技術センター”を新築することとなった。
また第二次世界大戦の東京大空襲でも奇跡的に焼けることなく残っていた
本社社屋は老朽化がすすみ創立70周年を機に平成2年(1990年)新社屋に
建替えとなり現在に至っている。

白熱電球の発明からわずか139年あまり。
現在、照明器具の光源としてはLEDの採用が目立つようになり、
調光もデジタル信号を使用したシステムを採用するようになっている。

ハード(舞台周辺機器)の進化がソフト(上演作品)の多様化を産み
またソフトの多様化がハードの進化を促して日本の文化芸術は発展を
遂げてきた。

当社は今後も文化芸術を愛し感動する心を大切にしながら次世代の
舞台、テレビジョン照明設備の発達を促しながら社会貢献をしてゆきたいと
考えている。』

HISTORY 9

2016年10月1日

皆さま、いつも当ブログにお越しくださいましてありがとうございます。
ゆっくりペースで進めております、当社の成り立ちを皆さまにご紹介
させていただくこのシリーズも、今回で9回目。

今日は新型調光器をテレビスタジオを皮切りに日本の名だたる劇場へ
納入してゆく舞台照明革新期のお話です。

第1話 は コチラ
第2話 は コチラ
第3話 は コチラ
第4話 は コチラ
第5話 は コチラ
第6話 は コチラ
第7話 は コチラ
第8話 は コチラ

をご覧くださいね。

では、スタートです!

日本経済が復興し、国民の生活水準の向上に伴いテレビという大衆的映像文化
が目覚ましい発展を遂げる時代がやってくる。

昭和26年テレビジョン実験放送が実現すると当社でもアメリカやヨーロッパの文献
を頼りにテレビスタジオ用の照明の研究が開始された。
NHKでは昭和29年に本放送を始めるに当たり、国内産の機材でテレビスタジオ
を作ろうという機運が高まり、照明設備については当社で担当することになった。
舞台照明で培った技術を基に、実験放送開始からほどなくして取り組み始めた
スタジオ照明の研究成果を存分に発揮することができた。

以後、NHKに次いで開局するテレビスタジオ照明においても当社は業務を通じ
貢献してゆくこととなった。

劇場界においても丁度その時期、現代科学と技術の粋を集めた劇場建設の計画が
立ち上がり日生劇場の建設が始まった。
日生劇場は外国の一流劇場で当時採用されていたサイリスタ方式(シリコン製の
半導体素子により大電流を制御する整流器を利用した調光方式)の調光装置
を取り入れた。

多数の場面を事前にセット出来るこの方式は照明の変化を瞬時に行えるなどまさに
最先端の技術が導入された設備であった。

技術部門の責任者であった吉井澄雄氏(現 公益社団法人日本照明家協会名誉会長)は
著書『新劇と私の数十年』の中で次のように記している。
「当時の劇場、ホールの貧しい照明設備では、とても自分が考えているような照明は実現
できそうになく、また、それを改善する力もなく、
その方途もすぐにみつかりそうもなかったからである。 (中略)
その頃のテレビ局はアメリカの技術に追いつくために、最新のエレクトロニクスの
情報を取り込むのに大量で、その中には欧米の新しい技術資料もかなりあって、
門前の小僧よろしく自分の糧にしてしまった私は、こうした照明の設備や器具を何とか
劇場に採用できないものかと夢見ていたのである。」

サイリスタ方式の調光装置は後に建設された国立劇場や解体・建設される帝国劇場など、
ほとんどの劇場に採用されることとなる。

明治年間から建設の話が持ち上がりながらも実現に至っていなかった国立劇場建設、
明治44年の開場以来、日本文化の殿堂であった帝国劇場の解体・建設は同時期の
出来事である。当社にとっては喜びの多い仕事であり責任の重大さに身が引き締まる
思いであったと当時の関係者は話している。

昭和42年にはこれからの時代を担う若い世代の人々に、舞台照明の知識の向上
や認知の拡大の助けになるようにと“丸茂ライティングニュース”を発刊。
(バックナンバーはコチラ)舞台照明にまつわる様々な情報や知識のわかり易い
解説は学校演劇に携わる人やアマチュア演劇に携わる人々などにも広く読まれ、
好評を博していた。

このように、実際の建設業務だけでなく舞台照明を一般に浸透させようと
現在に至るまで広く活動を行っている。

 

高校演劇 2

2016年9月15日

みなさま、こんにちは!
本日も当ブログをお読みくださいましてありがとうございます!

本日は年に一度の特別企画!?
演劇部出身の当社社員による高校演劇を振り返るシリーズです。

第1回目は コチラをご覧ください。

ではでは、今年の記事をご堪能ください!

みなさん、こんにちは!
技術課の松立です。

「高校演劇」がテーマなので、ちょっと高校時代を思い出してみました。

高校生の自分は目立ちたくて役者志望で演劇部に入部した事を覚えています。
でも、残念ながらセリフが全く覚えられず本番に2ページ近くセリフが抜ける大失敗をして、
役者には向いていないと痛感しました。
その次の公演で裏方に携わり、舞台照明が楽しいものだと感じたのを覚えています。
これが、僕と舞台照明の運命の出会いで高校では部活、
大学ではアマチュア劇団を作って舞台照明に関わりました。
実は、社会人の今もときどきですが、お芝居をしたりしてます。
さらに、お仕事でも丸茂電機に入社して、このように今も舞台照明に関わっています。

さて、話が脱線してしまいました。高校演劇の話に戻します。

高校演劇の照明では、本当に色々なことがありました。
一番印象深いのは、高校2年生の春大会でホールのスタッフさんに猛烈に怒られたことです。
その理由は、
強電パッチ盤のパッチを勝手に変えた
ことでした。
今、現役の学生の皆さんは強電パッチ盤を見たことあるのでしょうか。
強電パッチ盤とは、好きな調光器から好きなコンセントへ調光電源を供給するため組合せ組替え用の盤です。
パッチコードと呼ばれるコードのつなぎ方で、組合せを自由に変えられるのが特徴です。
でも、大電流が流れているので素人が触ってはいけない装置なのです。
当時の僕は、調光器に容量があることも、どれだけの大電流が流れているかも
知らないので、勝手に組合せを変えをしてしまいました。
今思うと、電気は流れたままだったし、素手だったし、電極に触ってたしと危険極まりない状態でした。
幸いなことに、自分に怪我はなく、器具や装置も無事だったので、
本当に運がよかったと思います。
そしてスタッフさんに怒られて本当によかったと、しみじみ思い出します。
更に、そのスタッフさんは、その後すぐに仕込みを手伝ってくださり、
色々教えてくれてすごく助かったことを覚えています。

実は入社して数年後に、この地区大会をしていた思い出のホールの工事を担当しました。
自分が怒られた強電パッチ盤を撤去して、CUEシート片手に悪戦苦闘した操作卓も撤去して
新品の調光操作卓を納入しました。
今、地区大会は違うホールで行っているらしいので高校生に触ってもらえなくて
少し寂しい気持ちがありますが、思い出のホールを工事できてよかったです。

なんだか懐かしい気持ちが満ちてきたので、記事をこれにて結ばせて頂きたいと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
そして、高校演劇を頑張っている皆さん、楽しい演劇ライフを満喫してくださいね!

丸茂電機㈱ 技術部技術課 松立

HISTORY 8

2016年6月2日

皆さん、こんにちは!

いつも当ブログをお読みくださいましてありがとうございます。

前回までは創業から第二次世界大戦を経て、すべてを失った弊社が、

技術者の記憶、焼け残った劇場の設備をスケッチして準備をし、焼け残った材料や

物資をはるばる山梨県の小屋に運びこみ

再起への新たな一歩を踏み出したところまでをお読みいただきました。

第1話 は コチラ

第2話 は コチラ

第3話 は コチラ

第4話 は コチラ

第5話 は コチラ

第6話 は コチラ

第7話 は コチラ

そして戦後復興の第8話この記事です。

 

終戦より数年を経た昭和24年、

戦時中の空襲により焼失していた歌舞伎座再建の話が立ち上がり

吉田五十八氏の設計の元、事業が開始された。

当社も舞台照明設備を担当することになったがこの第四期歌舞伎座が開場する

昭和26年までの間に朝鮮動乱が勃発し、たちまちのうちに資材は高騰、

材料不足で市場は混乱を極めることとなった。

工事関係の会社でも中には倒産する会社もあり、夜間は電線泥棒などにも

気をつけねばならなかった。

この時の歌舞伎座の設備は負荷回路254回路で、調光回路20A120回路、

30A20回路、40A20回路。

歌舞伎座操作把手盤

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真は第四期歌舞伎座の調光設備の一部です。)

この設備仕様で平成22年第五期歌舞伎座(現歌舞伎座)リニューアル開始までは

ほぼそのままの仕様で使われた。

昭和26年1月1日杮落しの日をなんとか迎えられると当社の再出発も軌道に乗ったと

いえるようになった。

昭和26年には三越劇場の照明設備を施工した。

当時はまだまだ劇場がない時代。

しかもデパートの文化事業の一環として本格的な劇場が出来たのは

三越劇場が初めてでこの劇場建設は世間の評判を呼ぶこととなり、現在に至るまで

新劇を中心に多くの公演が行われている。

昭和27年4月にはサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が

発効され、連合国の日本占領に終止符が打たれた。

この昭和20年代後半から日本全国の劇場復興や新設が進み当社製品が全国各地の

ホールへと納品されてゆくこととなる。

その流れを追うように弊社もその土地に根差した仕事をと日本各地域に営業所を開設、

各地でのきめ細やかな対応を現在も継続している。

さらに、昭和31年、日本は国連復帰。この国際社会への復帰は経済の高度成長を

促し、我々の生活水準、生活内容に大きな変革をもたらした。

それと同時に文化の国際化も進んでいった。

昭和32年にはイタリアオペラが来日した。

しかし、当時の日本には本格的なオペラハウスがなく、この来日公演は東京宝塚劇場や

宝塚大劇場にて上演された。

都民からは「東京に本格的なオペラハウスを」との声が立ち上がり恩賜上野公園内に

東京文化会館の建設を計画、前川設計事務所の設計で建設が開始された。

舞台照明担当として参加した当社では西洋のオペラやバレエのキューの多さ、

早い変化に対応すべくU型調光変圧器の操作系の全てを弱電操作で行う

UMS型調光装置を開発し納入した。負荷回路数も480回路と当時としては非常に多く

回路が整備されたギャラリーがあり「効果的な明り作りができる」と評判を呼んだ。

以後会館関係者の尽力もあり今でも東京文化会館は世界有数のオペラハウスといわれている。

このUMS型調光装置は後に建設された神奈川県立音楽堂などにも採用される他、

この頃前後して開発された8吋のフラノコンベックスレンズを使用したC-8型スポットライトは以後も同様のスポットライトの代名詞となるほど流通したスポットライトととなった。

 

HISTORY7

2016年3月15日

皆さん、こんにちは!

いつも当ブログをお読みくださいましてありがとうございます。

驚くべきことに、こちらのブログ今年の初更新です。。。

早いもので、社史の連載も開始から1年ほどが経ちました。

本日は終戦直後の弊社を皆さんと一緒にたどってみたいと思います。

1話 は コチラ

2話 は コチラ

3話 は コチラ

4話 は コチラ

5話 は コチラ

6話 は コチラ

この記事は第7話です。

昭和19年~20年にかけて激化した戦況、そしてほどなく迎えることとなった終戦の日。

多くの都市は度重なる空襲により廃墟となったがその中から

人々は再び未来を見据えて立ち上がろうとしていた。

当社のことを話せば、山梨県の(現在の竜王町)に小屋を借入れ、

かろうじて焼失を免れた工作機械を持ち込んでの工場再開となった。

一切の設計資料が焼失し手元に何も残らない中、業務の完全再開に備え

それぞれの技術者が自らの記憶をたどるほか、焼け残った劇場を訪ねては

劇場の照明設備のスケッチをかさねていった。

それは、日本の芸術、文化の復興・復旧を一心に目指す当時の社員の

心意気の表れだったのではなかろうか。

当社にとって舞台照明の仕事のスタートは昭和22年に開始した新橋演舞場の

復興工事である。

戦後、物資欠乏の頃ではあるが本格的な仕事であり、

焼け残ったもの、工夫すれば使用できるもの等を探しては甲府駅までは貨車、

駅から小屋まではリヤカーで運び込み、

工具も十分とは言えない中製作を進めていったのだった。

現場(劇場現地)での工事の段となったが、

まだまだ広がる焼野原の東京では宿泊場所や食料調達にも事欠いていたので

布団を新橋演舞場に持ち込んで泊まり込みで仕事を行ってゆくこととなった。

そんな必死の作業の合間にもしばしば起こる停電や駐留軍や警察官による職務質問など

今からでは想像できない過酷な条件の中、多くの苦労を重ねつつも、

社員一同、一丸となりこの業務にすべてを注ぎ込み

昭和23年3月新橋演舞場は無事に再開場の日を迎えることとなった。

設備内容は、回路数138回路となっており、調光変圧器は把手型30Aのもの132本。

この折納入した操作把手盤は昭和56年の取り壊しまで使用された。

当時の照明担当者の方は撤去に際し「それはもったいない博物館に保存しなければ」

との海外の大学教授の声を聞き「うれしかったね。とにかく、再建当時は最新の設備だった。

国産だけど大事に使ってきた。」と語っていたという。

 

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